PyCon JP の歴史

はじめに

このページは、PyCon JPがどの様に始まったかを記録として公開するものです。 PyCon JPの立上げ時期から、2017年ごろまでの略歴をあわせて記載いたします。

PyCon APAC in Singapore

2010年6月にアジアで初めてPyConが開催されました。シンガポールのユーザ会が数年の歳月を使い計画しイベントを開催しました。その名称をPyCon APACと名付けました。 この開催には、シンガポールの大学に所属する、Liew Beng Keat氏が大きく貢献しました。彼はアジア地区でPyConを盛り上げて行きたいと当初から考えていたようです。

シンガポールからアジア各国に協力を依頼し、参加者を集めていました。残念ながらその当時の日本では協力に応える団体が無く、このイベントに参加する各国一覧に日本は入っていませんでした。 それでも、日本から4名以上の参加者がシンガポールに渡りイベントに積極的に参加をしていました。

シンガポールで会った4人(後に一般社団法人化する際の社員となった「寺田 学」「増田 泰」「イクバル ビン アバドゥラ」「ルイス イアン マシュー」)で、日本でも同じようなイベントの開催ができないものかと考えるようになりました。

次のステップへの大きなきっかけを与えてくれたのが、その当時PSF Chairmanをしていた、Steve Holden氏の来日でした。彼はPyCon APACのあと家族で東京に立ち寄っていました。10名程度の有志で彼を迎えた夕食会を行い、そこで彼から「日本でもシンガポール同様のPyConを開催しないのか?」と問われました。 その時には、PyConという名前をつけたイベントを開催するにはどのような手続きでどの様に進めれば良いのか、シンガポールで出会った4人にはまったくわかりませんでした。

PyCon JPのはじまり

Steve Holden氏との夕食会で、彼が発言した事があります。それは「PyConは自由に開催出来る」と言うことでした。特にPSFがイベント開催の許諾をしているわけではなく、各地のユーザ会が自由にPyConを名乗ってもいいというのです。

この言葉を信じて、後にPyCon mini JPの座長になる増田さんを中心に、日本でのPyCon開催に向けた動きをはじめました。しかし、日本のPythonコミュニティではカンファレンス規模のイベント運営の知識がほとんどありませんでした。 まずは、開催できそうな場所がないかを模索しつつ、新たなメーリングリストを作り、どのようなイベントを作っていくかを議論していきました。また、イベント開催に向けてスタッフミーティングも行いました。どれだけの関連スタッフが集まるかもわからず、手探りなミーティングを繰返しながら、翌年(2011年)1月末に小さなイベント開催を目標に動き始めました。

PyCon mini JPからPyCon JP 2012

2011年1月末に品川シーサイドで、日本で初めてのPyConである、PyCon mini JPを開催しました。 mini を付けたのは、本格的なカンファレンスを名乗ることの不安や継続的に出来るかどうかわからないということから、テスト的なカンファレンスという意味を込めました。 この、PyCon mini JPは、1日間で1トラックで開催しました。開催に向けた一つひとつのタスクを、着実に、様々な検討を繰り返してイベントの形を作りました。

このPyCon mini JPが一定の成果を上げられたと感じ、次の本格的なカファレンスの開催に向けてすぐに動き出すことになりました。 小さなイベントを経験したことで、経験者などのスタッフグループができ、さらに参加者やスピーカーとして関係してくれた仲間ができました。

PyCon mini JP キーノート

PyCon JP 2011 は、PyCon mini JPを行った同年の8月に開催しました。複数トラックの本格的なカンファレンスとし、有料チケットの販売などをおこないました。海外からのゲストスピーカーもこの時に初めて招待しました。また、海外 のPyConで実施されている、開発Sprint Dayも設けました。 本格的なカファレンスの足がかりができた開催だったと思います。

PyCon JP 2011 キーノート

翌年の2012年からは定期開催を目指すようになりました。 PyCon JP 2012 は、日本開催で初めての2日間開催とし、英語でのアナウンスの充実などを行いました。これは、この後実施しているPyCon JP開催の本格的なフォーマットとなったと思います。

2010年から2012年にかけて、カンファレンスをどのようなものにして開催をするか、手探りなところから徐々に具体的に形を作っていくことができました。国内で開催している他のカンファレンスを参考にしたり、他のカンファレンス主催者に話を聞いたりし、自分たちのPyCon JPを作り上げていった時期だと思います。

PyCon JP 2012 キーノート

一般社団法人化

2013年3月に一般社団法人化を行いました。PyCon JPの継続開催、資金管理の明確化、長期的な視点を持った団体として設立しました。詳しくは、 一般社団法人PyCon JP設立趣意書 を参照ください。

PyCon APAC 2013 in JapanとAPACコミュニティ

2013年9月に PyCon APAC 2013 in Japan を開催をしました。これは、シンガポールでPyCon APACの開催に尽力した、前述のLiew Beng Keat氏の強い意向がありました。それまで3年間継続して開催してたAPACをシンガポール以外の場所で開催したいとの意向でした。 前年のPyCon JP 2012の時に彼は来日して、私達PyCon JPチームにこの意向を伝えました。その当時、アジアでPyConを開催している国は、日本だけであることなども含めて一度日本で開催して欲しいということで、PyCon APAC 2013 in Japanを主催することになりました。

PyCon APAC 2013 in Japan グループフォト

2012年には台湾でPyCon TWが立ち上がり、徐々にアジア地区のPyConが盛り上がってきたタイミングでもありました。さらに、PyCon TWの立ち上げメンバーである、Yung-Yu Chen氏も、PyCon JP 2012に参加してくれていて、2014年以降のAPAC開催場所については、台湾で開催したいという話もありました。 このことは、私達PyCon JPチームにとって安心でもありました。それは、立ち上げから3年連続でシンガポールでPyCon APACが開催されていて、一旦日本で行うことになったら、しばらくの間、日本開催が決まってしまうのではないかという不安からでした。

この心配は、不要なものでした。台湾だけではなく、韓国やマレーシア、フィリピン、香港など続々とアジア内でPyConが立ち上がり、一緒にアジア内でカンファレンスを開催する仲間になるコミュニティができてきたからです。 その一つのきっかけは、PyCon APAC 2013 in Japan内で急遽開いた、APACパネルディスカッションがあったと思います。

APACパネルディスカッションには、シンガポールからLiew Beng Keat氏、台湾からYung-Yu Chen氏、日本から寺田学が参加し、司会には当時のPyCon JP理事であり、後にマレーシアでPyCon MYを立ち上げるイクバル氏が行ってくれました。 このパネルディスカッションには、後に韓国でPyCon KRを立ち上げるメンバーや同じく香港(PyCon HK)の立ち上げメンバーも参加してくれました。ここで行われたディスカッションを経て、今日のPyCon APACチームが生まれたのではないかと思っています。

APACパネルディスカッション

2014年から2016年

PyCon JP 2011から3年間、座長を務めた寺田学は、すでに設立していた法人の代表理事でもありました。 法人が設立された後の次の開催を決める段階で、座長の交代を行うことになり、鈴木たかのりさんがPyCon JP 2014の座長となりました。 その後、イベントが拡大局面に入り、多様な参加者が集まるようになり、新たなコミュニティが生まれる礎になったものと思います。 また、PyCon JPが9月前後に開催されることが、日本のPythonユーザに広く知れてきて、定期的な開催となった時期でもあったと思います。

2017年以降

ますます規模が拡大していったPyCon JPですが、PyCon 2017から座長が吉田俊輔さんに変わりました。 参加者の増加と共に、会場探しの難しさなど新たな困難が生まれてきた時期です。

執筆: 2020年10月15日 寺田学